憧れの高野山
いつかは行ってみたいなーでも自分は貧乏だしまとまった時間もないし一生このままなんだろうなーと思っていても、ひょんなことからその機会があったりするのだから人生はわからん。
高野山。今でも真言宗の教祖、空海さんが生きているという。坊さんたちが毎日朝晩ごはんを届け続けておよそ1200年近く。
ひとり宿坊に着く。
寺に着いてお坊さんに部屋を案内される。そのお坊さん、足の調子がよくないのかもともとなのか、少しだけ引きずっているように思えた。案内はテキパキとしていたので気にすることはなかった。早速身支度をする。目指すは空海さんのいる奥の院だ。
30分くらい歩いただろうか?
一の橋という参道の入口に着く。そこへ足を踏み入れると、1本道があってその周りは墓がびっしりと並んでいる。見渡す限り杉の木と墓だらけだ。
墓・墓・墓。有名無名の墓に見守られながらひとりで歩いていると、まるで自分もあの世に向かっている気分になる。夕刻5時、他の観光客はいない。
戦国武将ファンなら訪れたいかもしれない。なんせ織田信長・豊臣秀吉・伊達政宗・武田信玄・上杉謙信・明智光秀・石田三成などなど、錚々たるメンバーの墓があり敵味方関係なくみんなして、空海さんの元で眠っているのだ。
浄土宗を開いた法然、法然の弟子である浄土真宗を開いた親鸞の墓もある。さらに言えば赤穂浪士四十七士の墓、近年では英霊殿、そして東北大震災で犠牲になられた方々の墓もあった。
ただひたすら1本道を歩く他なく、後で知ったのだがその距離はおよそ2㎞もあった。
途中でお坊さんとすれ違った。ひとりすれ違い無愛想、またひとりすれ違い偉そうだったが、ひとりいかにも苦難に耐えてきているというオーラをまとった年配の方が近づいてきた。その方だけは僕に気づくや否や、「こんにちは」と先に挨拶をされ、颯爽と歩いて行った。僕は思わず立ち止まってしまった。
参道が終わり、目の前を細い川が横切っている。橋が架けられ、ここからは写真撮影禁止の案内がある。
いよいよ奥の院だ。これまでも異様な空気が漂ってはいたが、ここからはさらに明らかに違う気配がする。踏み入れていいのか躊躇さえする。
まあ、前方にいた白人客たちはぷらぷらと歩いていたけれど。
奥の院の記述は遠慮する。興味のある方は行ってみてください。大したことないと思われる方もいるかもしれない。
あくる日、バスに乗ると発車時刻になってから慌てて乗ってきたのは、昨日僕を部屋に案内してくださった坊さんだった。彼は息を弾ませ、異常に汗をかき苦しそうだった。それは急いできたからではなく、明らかに変調をきたしていた。
顔を歪ませ、苦痛に耐えるように方足を大きくひきづって車内通路を歩いた。空席を見つけると安堵したかのようにドカッと腰掛け、それでもまだ苦しそうだった。
僕には分かりました。
彼は痛風です。間違いありませんな。