西田もじのブログ

日々雑記を綴ります

TOEICにオムツ

今日はTOEICの試験日だった。

英語はできないけれど、はて、自分は今どれくらいのレベルなのだろうと関心が出てきた。

500点くらいだろうか。聞いた話では700いけば履歴書に堂々と書けるレベル。800いけばすげー、900だったらもう達人。でも900とってもアメリカの小学生レベルだと誰かが言ってた。確かに僕の周りでも、海外の投資会社で働いていた年配の友人は900取ってアメリカで仕事することになったら最初は日常会話が全く聞き取れなくてねなんて言ってた。

まあでも基礎訓練にはいいだろう。早速スタディサプリのTOEICアプリを購入し、2ヶ月ほどスキマ時間に勉強してみた。アプリは様々な工夫が施されていて、一人参考書でやるよりか楽しい。でもあらためて自分には量が圧倒的に足りないと思った。

 

さて試験である。とりあえず一回受けてから対策を練ろう、まだ2ヶ月しかやってないしとゆーわけでプレッシャーもない。けれど試験前日、何気なく受験票を見てたら気になることを発見した。

試験説明から試験開始、そして終了までの約2時間半、トイレに行けないのだ。

僕は最近、頻尿気味である。2時間半もつだろうか。試験途中トイレに行ったら即退場らしい。不安だ。

思いついて前日、大人用オムツを買ってきた。これなら多少漏らしても大丈夫だろう。

履いてみるとシルエットも違和感ないし、自転車に乗ったら窮屈だったけど粘着テープでパンツにひっついているからずれることもなかった。

まあこんなこと、匿名だから書けることだがとにかくオムツで受験だ。

 

案の定試験は全然できなくて、噂通り時間が足りなかった。考える時間などない。パッパッパッパ解かなきゃならないんだな。集中している最中、尿意がないのでなぜか残念にも思った。試験終了後に尿意があったのでいっそ、

「少し、出してみようか?」

と一瞬好奇心が湧いた。やめておいたけども。

なるほどみんな言わないだけで、すぐにトイレ行けない職業の人なんかオムツしているのかもしれないな。しょうがないもの。

ちなみに頻尿は、テレビでお医者さんが少し我慢するといいと言っていたので何度かそうしていたら、前よりか改善してきた。年とともに貯める力が弱まってくるんだって。

ぼくの就職案内

 織田裕二主演で「就職戦線異状なし」という映画があったのが1991年。

今では婚活だ終活だと言われるけれど、就活が大テーマだったのだその頃はきっと。

雇用形態も価値観も変わりつつ、今じゃやれ独立せよ好きなことをやれ会社を買え株を運用しろ雇われない生き方だって声が聞こえるし、AIの時代だ仕事が取って代わられるベーシックインカムはどうなんだ働かなくていい時代が来るってやんややんや飛び交うけれど、実際今は働かなきゃ食べていけないし、そしたら仕事探すよねえと思う。

 

 人生には親友が二人いればなんとかなるって、かつて詩人の田村隆一が言ってた。僕は普段つきあうような友達はいなくって、休みの日などは

「あ、今日誰とも話してないな」ということがよくある。唯一発した言葉がコンビニで「袋いりません」だけだったりするとちょっと笑える。

 年に一度連絡をとるかとらないかくらいの友達がいて、たまたま飲んでいる時に僕が仕事を探していると言ったら彼女が、

「東京仕事センターに行くといいらしいよ」と教えてくれた。

 早速予約を取って行ってみたら担当の方がすごく親身に相談に乗ってくれた。履歴書の書き方から仕事の探し方・面接の受け方などの各講座があって(全て無料だった)同じように就職活動中の方々とグループワークを行うことで前向きになれたり情報共有したりと、大変ありがたい場所だった。

 一方では同じように就活中だった3人の方(全員同じ職場だった)とその間何度も会って、励ましあって情報交換した。そうして全員、仕事が見つかった。

 

 仕事探している時は、メンタル落ちないようにするためになるべく出かけることと、人に会うことが大事だそうです。あと雇用保険のある方はハローワーク。きちんと登録して説明会に行って資料を。条件によるけれど仕事決まった時にお祝い金くれますよ!

惚れた腫れた切った張った

時代小説を買いに来たお客さんが、レジで僕にこう言った。

「若い頃はね、惚れた腫れただったけど、この歳になるとね、切った張ったの方が面白いんだよ」

時代小説は常に一定の人気があり、チャンバラ物や人情物、中には恋愛ものもあるが、ほとんどは時代考証にこだわって描いているので、時間旅行が楽しめるのだ。特にこのジャンルは、池波正太郎平岩弓枝藤沢周平山本周五郎など錚々たる作家がいて、近年では佐伯泰英という超ベストセラー作家が作品を量産、不動の地位を築いている。

当時僕はそんなものですか〜とあまり関心を持たなかったが、それでも何冊か読むと確かにすごい。面白い。でもその凄さ面白さは人間を描いている凄さで、時代小説というジャンルに興味を持つものではなかった。

 

幼稚園の年長さんだった頃に先生が、「はい、じゃあみんなそれぞれ自分の名前を書いてねー」と平然と言った。みんなそれぞれ自分の作った工作物に名前を書き出した。ひらがなだ。僕は書けなかった(小さい頃からからどんくさかった)

書けないでうつむいてかたまっていると、一人の女の子がそばに寄ってきて、

「あたし書いてあげるー」

と明るい声でささっと書いてくれた。

 

その女の子とはそれっきりだったが、中二の時に同じクラス、隣の席になった。内容は忘れてしまったが、僕が何かの係をやることになって放課後一人で書き物をまごついている(どんくささは変わらない)と、その子と他二、三人の女子がそれを手伝ってくれた。

 

惚れた腫れた切った張ったどれもない日々だけれど、出会ってくれたさりげない人たちは元気でいるかなあと時々思う。

 

嗚呼、麗しのペペロンチーノ

つかれたーしっかり食べよう明日は休みだ〜って時は、セブンイレブンの大盛りペペロンチーノを買って帰る。ニンニクが効いていて美味しい。そして缶チューハイで流し込むのだ。ああーに濁点がついて「あ"あ"〜」といい気分だ。

このペペロンチーノには大きめのソーセージ2本と細かいベーコンが入っていて気に入っていたのだが、ある時からソーセージがなくなってしまった。

代わりにベーコンが増えている。

ん?違う商品か?ケチったのか?

ちょっと残念に思いながらそれでも毎度買っていた。

そしたらあったよ、ソーセージ入り!!

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これだよ、こうでなくっちゃセブンさんよ!!ありがとう!

大臣と本屋さん

新内閣が発足すると各大臣の名前と顔が出るのだが、よっぽど政治に興味がある人や関係職種の人でないと、全員を知っている人はいないだろう。

まだ今みたいにSNSが発達していない頃、とある政治家の不倫かセクハラか、覚えていないけどなんかそんなスキャンダルが週刊誌に出た。僕はその政治家の選挙区である街の本屋で働いていた。

そしたら週刊誌の発売当日だ。朝一でその政治家を支えているスタッフっぽい人が二人来てあっという間に全部買って行った。携帯電話で連絡をとりながら、手分けして本屋さんを回っているようだった。

その手際のよいこと。目的はともかく、迅速な対応ができるスタッフに囲まれておる。きっと普段は信頼される、仕事のできる方なのかな、と思った。その政治家は次の選挙も当選していた。

 

そしたら大臣になってた。今だったらネットですぐ拡散されるから気をつけないとね。

 

もう亡くなられた別の大臣は「読書家〇〇、SP4人連れて今日も書店へ行く」みたいな記事を書かれていた。たまたま僕はそこでバイトしていた女の子と後に知り合ったのだけれど、彼女はこう言っていた。

「読んでいたのは全部〇〇〇〇文庫よ」

エロ小説だ。

 

まあでも自分で顔出して買いに行くのだから、やっぱり大物だ。

憧れの高野山

いつかは行ってみたいなーでも自分は貧乏だしまとまった時間もないし一生このままなんだろうなーと思っていても、ひょんなことからその機会があったりするのだから人生はわからん。

高野山。今でも真言宗の教祖、空海さんが生きているという。坊さんたちが毎日朝晩ごはんを届け続けておよそ1200年近く。

ひとり宿坊に着く。

寺に着いてお坊さんに部屋を案内される。そのお坊さん、足の調子がよくないのかもともとなのか、少しだけ引きずっているように思えた。案内はテキパキとしていたので気にすることはなかった。早速身支度をする。目指すは空海さんのいる奥の院だ。

30分くらい歩いただろうか?

一の橋という参道の入口に着く。そこへ足を踏み入れると、1本道があってその周りは墓がびっしりと並んでいる。見渡す限り杉の木と墓だらけだ。

墓・墓・墓。有名無名の墓に見守られながらひとりで歩いていると、まるで自分もあの世に向かっている気分になる。夕刻5時、他の観光客はいない。

戦国武将ファンなら訪れたいかもしれない。なんせ織田信長豊臣秀吉伊達政宗武田信玄上杉謙信明智光秀石田三成などなど、錚々たるメンバーの墓があり敵味方関係なくみんなして、空海さんの元で眠っているのだ。

浄土宗を開いた法然法然の弟子である浄土真宗を開いた親鸞の墓もある。さらに言えば赤穂浪士四十七士の墓、近年では英霊殿、そして東北大震災で犠牲になられた方々の墓もあった。

ただひたすら1本道を歩く他なく、後で知ったのだがその距離はおよそ2㎞もあった。

途中でお坊さんとすれ違った。ひとりすれ違い無愛想、またひとりすれ違い偉そうだったが、ひとりいかにも苦難に耐えてきているというオーラをまとった年配の方が近づいてきた。その方だけは僕に気づくや否や、「こんにちは」と先に挨拶をされ、颯爽と歩いて行った。僕は思わず立ち止まってしまった。

 

参道が終わり、目の前を細い川が横切っている。橋が架けられ、ここからは写真撮影禁止の案内がある。

いよいよ奥の院だ。これまでも異様な空気が漂ってはいたが、ここからはさらに明らかに違う気配がする。踏み入れていいのか躊躇さえする。

まあ、前方にいた白人客たちはぷらぷらと歩いていたけれど。

奥の院の記述は遠慮する。興味のある方は行ってみてください。大したことないと思われる方もいるかもしれない。

 

あくる日、バスに乗ると発車時刻になってから慌てて乗ってきたのは、昨日僕を部屋に案内してくださった坊さんだった。彼は息を弾ませ、異常に汗をかき苦しそうだった。それは急いできたからではなく、明らかに変調をきたしていた。

顔を歪ませ、苦痛に耐えるように方足を大きくひきづって車内通路を歩いた。空席を見つけると安堵したかのようにドカッと腰掛け、それでもまだ苦しそうだった。

 

僕には分かりました。

彼は痛風です。間違いありませんな。

台風と街路樹

台風が来ると本当に身の安全、みなさんにどうか気をつけて〜と願うのだが子供の頃は無邪気というか、イベントのように楽しんでいる部分もあった。家の目の前の道路は他より低いので、大雨が来ると川のようになってしまう。台風などが来ると近所の子供たちを小舟に乗せて、安全なT字路まで運ぶなんてこともあった。一軒家が並ぶ近所の僕たちは、目の前の道路に出られないため、家々を囲むブロック塀をつたって隣家にたどり着き、「ピンポーン、あーそーぼー」と家のチャイムを押すのだった。

 

「樹木たちの知られざる生活」(ペーター・ヴォールレーベン著 ハヤカワ文庫)

という本があるが、そこでは木々の世界でも協力や村八分があることが叙述されている。彼らにも意識があるのだ。大雨や風に対しては身を寄せ合って自分たちを守る。自然の猛威・力を分散させるのだ。1本だけで生きていくのは大変だ。

 

台風が来ると街路樹が倒れているシーンをテレビでよく見るが、人間が勝手に等間隔で置いている木々は

「もっとつめて植えてくれよ」

「1本で耐えられるわけないじゃん!」

と訴えているのかもしれない。